クリスタルボウル演奏者として14年生きてきて感じたこと。
こんにちは。心理カウンセラー、クリスタルボウル奏者の大内です。
高田馬場駅前サロンを運営、14年目となります。
心理カウンセラー、クリスタルボウル奏者・講師として生活、経営者としても活動しています。
今日はクリスタルボウル演奏者として最長と思う自分の経歴を書いていきます。
これからクリスタルボウル演奏者として活躍していきたい人へのご参考となれば幸いです。
ちょっと恥ずかしい。。ツイッターを初めたばかりのツイート
東京以外に、大阪、栃木、埼玉、名古屋、福井、静岡、、出張させていただきました
クリスタルボウルってそんなに需要があるの?実はめちゃくちゃあります
市場は大きいほうがいいですが、そこには沢山の人が集まってきますので才能がないと埋もれやすい
私は才能がないのでニッチな市場で生きてます
クリスタルボウル演奏者としてスタートした1年目
とにかく若く、勢いがありました。
癒しの世界は女性で30〜50代くらいの女性がほとんどなので、私は男性でかなり目立っていたと思います。
周りにはクリスタルボウルなんてやっている人なんていません。
なので、男でクリスタルボウルをやっているとうだけで波に乗れました。
1番苦労したのはクリスタルボウルがうまく鳴らせなかったことです。
試行錯誤しながら、今でも一緒にやっているスタッフと二人三脚で進めていきました。
新しいことを初めると最初はどんなことでも、楽しくワクワクな日々で進めると思います。
クリスタルボウル演奏者として転機となった3年目
とにかく演奏会は200回前後になっていたと思います。
毎月欠かさず、開催していました。
毎月沢山の参加者に恵まれて、この頃地方にも出ました。
大阪、栃木、、全国各地での演奏会、講座を飛び回っていました。
しかしちょうど3年目の2回前の演奏会で、息切れしてきて
忙しいのはいいけれど、このまま続けていていいのだろうか?と余計な考えがよぎりました。
もっと大きなことをしたい、もっと多くの人のためになりたいとおもう気持ちが溢れるほど、つらくなっていました。
もうやめようかな。。そう思ったとき、いまは亡き恩師にたずねました。
こたえは、「石の上にも3年だ」
は?と思いましたが、騙されたと思って、あと、2回頑張りました。
するとどうでしょう、3年目の記念回の演奏会は人で溢れていました。
その光景をみて、やれということかと、さらに演奏者としての決心を固めました。
その後、3年という数字は大切にするようになりました。
クリスタルボウル演奏者としてかけに出た7年目
すでに沢山の受講生にも恵まれていましたが、演奏会は施設をかりて開催していました。
自分の仕事をもっているんだったら、事務所と電話をひいたらどうだ?
という一言で、不安はありましたが自分のサロンを持つというかけにでました。
それまでサロンを持ちたいという夢はありましたが、いつかいつか。。でかなえられずにいました。
しかしいくら考えていても、動くときは信頼している人の単純な一言で動けるものです。
ちょうど7年目で演奏は手元を見ないで演奏できるくらいのレベルまでいっていて、
講座の指導にしても何日でもぶっ通しで話せるくらいの自信に満ちていました。
自分のサロンを持ってからは辛いことも沢山ありましたが一気に成長できたと思います。
自分の城を持つと、人は強くなれるものです。
クリスタルボウル演奏者として成熟した14年目
さて、14年目のいま、なんとなくですが先がよめるようになってきていると思います。
なので恐怖感がほとんどありません。
怖いものがあるとすればチャレンジしないことの恐れです。
チャレンジしないと成長もなく生きている意味がないなと思えます。
いつも変わらず日々を過ごしながらも、夢はでっかく、
どんなことで沢山の人たちを喜ばせることができるだろうか、悩み困っている人を上げることができるだろうか
常にチャレンジする気持ちでいつもワクワクすごしています。
目の前ことをしっかり、気持ちは宇宙くらいにでっかく。
14年たってもやっていることは同じ、人のために目の前のことをこつこつと頑張るのみです。
これから、クリスタルボウル演奏者を目指す人たちには、ぜひこの道をおすすめしたいです。
私がクリスタルボウルをやってきて最もよかったことは、沢山の人たちと出逢うことができたことです。
クリスタルボウルは沢山の出逢いと、笑顔の架け橋をつくってくれる癒しの楽器なのです。
それでは、今日はこのへんで。
最後までお読みいただきありがとうございました。
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